一章
3
早い物で、赤ちゃんがやって来てから一週間が経った。其の朝もお日様はご機嫌。森の上空の、ひんやりとした空気の層の更に上に広がる高い雲は、橙色や青・紫に取り取りに色付き始めていた。
「ん…」
桃色が目を開けた。腕を突いて起き上がり、ゆっくりと辺りを見回す。
「あれ…?」
あくびをして、もう一度、ぐるり首を回す。
「うわぁ赤ちゃんがいなーい!!」
桃色の悲鳴が、空を突き抜ける。枝々で眠りに就いていた鳥たちは一斉に飛び立ち、他のヨッシーたちも跳ね起きた。
「なっ、何事!?」
「いいいないの、寝てて、夜は、いて、このとなりにぃ!」
腕を振り振り、言葉に思考が追い付いていない桃色。目に渦が巻いている。
赤ちゃんは昨夜、誰かが添い寝をしてあげている訳でもなく、ヨッシーたちの真ん中辺りに転がっていた。其れが今朝になって、消えていたのである。
「ワケワカンネェ」
赤が首筋を掻く。
「夜中、勝手に動き回っちゃったのかな?」
茶色はまだ寝惚け眼だ。
「最近活発になって来てたからなぁ…。」
小さいあくびをし、口を軽く押さえる水色。
「近い。」
紫が呟いた。
「まだ赤ん坊だもん、そんな遠くへは行ってないはず。捜そう。」
緑が靴を履いて立ち上がると、他のヨッシーたちも其れに続いた。
「赤ちゃーん!」
「赤ちゃんやーい!」
「〈やーい〉って普通言わないよねー!」
ヨッシーたちは、互いの姿が見える程度の範囲でバラバラになって、周囲の森を捜し廻った。赤ちゃんの小さな体が隠れていないか、足許の茂みに首を突っ込み,木の幹の陰を一箇所ずつ覗き込む。地面近くの見通しが悪い森の中では、不用意に足を踏み出せば赤ちゃんを踏んでしまうかも知れない。急ぎつつも慎重に,そして丹念に、赤ちゃん捜しは続けられた。
三十分程経ったろうか。明け方と呼ばれる時間帯は既に過ぎ去り、辺りの気温も大分上がって来ていた。而し赤ちゃんの姿は見えない。
「あっ」
未だに声が寝ている黄色が、低木の茂みを掻き分けてふと独り言。
「見付かった?」
茶色が草の陰から起き上がり、曲げっ放しの腰に手を当てて伸びをする。同時に、緑・青・水色など、辺りの木陰から他のヨッシーたちも顔を出した。
「ほら、キムトトの実がなってる。今年はじめて。」
右手に、藍色の小さな粒が幾つか付いた房を取り上げて見せた。
「あっ、喰わせろ!」
赤は其れを見るや否や、下生えを薙ぎ倒し乍ら走り寄って来た。
「だめ、ぼくの。」
赤が辿り着くより前に、黄色は実を口に抛り込んで終った。
「まだちょっとすっぱいなぁ」
「クソッ、まだなってるか?」
「熟してないのならねー。」
「…そういう話は、問題が解決してからにしないかな。」
緑は、半ば諦めた様に言った。
「でも、どこに行っちゃったんだろう。こんなに捜しまわっても見つからないなんて」
桃色が、顎の辺りに片手を添えて首を捻った。
「誰かが連れてっちゃったとか…?」
水色は、ゴツゴツとした木の幹の根本の、粗い茂みに屈み込んで、地表に積もった枯れ枝・枯れ葉を掻き分けていた。こんな所から赤ちゃんが顔を出すなんて考えられないのだが、もう見る所と言ったらそれぐらいしか思い当たらない。
「否——近くに居る。」
紫は立ち上がり、静かに目を瞑っていた。
「でも、見付からないよ?」
茂みの中から水色が顔を突き出した。
と、其の頭の上に、細い木の枝が落下して来た。訝し気な声と漏らし、其の枝を指でつまんで頭上を見上げる水色。周りのヨッシーたちの視線も、其れに導かれる。
「げ。」
水色の真上、ヨッシーの身長三人分ぐらいの高さの辺りに伸びた太目の枝の上に、赤ちゃんがちょこんと坐っている姿。枝を跨いで両手で枝を摑み、此ちらを見下ろしている。
「あっぶねー!!」
「助けてやれ水色! 早く!」
「はっハいっ!」
青が指示を飛ばす。背筋を硬直させる水色。動転した様子で上に手を伸ばし,幹に摑まり、そして上を見上げ乍ら両手で木を揺すった。
「バカ、落とす気かっ、舌だ舌!」
密に育った低木を漕いで、赤・青が近寄ろうとする。水色は真上に向かって一直線に舌を伸ばす、而し高過ぎて今一歩届かない。
其の時赤ちゃんが動き出した。大あくびをした後、ハイハイで枝の先端へ移動し出す。
「ヤバイヤバイ何で動くんだよ!」
「跳べ、跳んで舌を伸ばせ!」
青の指示に、一度膝を折って跳び上がる水色。空中でバタ足をして其の位置に滞空。其の儘舌を伸ばそうとするが、ふら付いて落ちてしまった。
ヨッシー特有の能力として、少しの間重力に逆らって根性で空中に踏み止まる事が出来、此れを〈踏ん張り〉と呼ぶ。而し此れは相当の気合い・根性を要する為、空中に位置を保って何か別の行動を取るのは、ヨッシーであっても運動神経に優れていないと難しいのだ。
周りのヨッシーたちが口をぽかんと開けた儘見守る中で、青が先ず水色の許に辿り着いた。
「ぼくはふんばりが苦手なんだよぉ…」
「肩車だ、乗れ」
水色が反応するより前に青は屈んで水色の両足に首を入れ、立ち上がる。
「うわっちょちょちょっとぉ!」
ヨッシーは基本的に撫で肩であり、而も背中のトサカが当たって痛い。不安定極まる肩の上で、水色はふらふらしつつ何とか青の頭に両手を掛け、上へ舌を伸ばす。而しやはり狙いが定まらず、どうしてもあさっての方向へ行ってしまう。
「ヘタクソ! オレがやる」
赤が直ぐ近く迄やって来た。水色が転げる様にして地面に尻餅を搗くと、青は赤の方へ移動——
其の瞬間、赤ちゃんがよろめいた。小さな体が枝を軸に回転し。赤ちゃんは両手でぶら下がろうとし。そして其の次の瞬間、ころん。
一瞬だった。地に尻を搗いた儘の水色が当てずっぽうに出した舌が、赤ちゃんを、受け止めた。
舌に引き寄せられて赤ちゃんは水色の胸に戻り、水色は赤ちゃんを胸に乗せた儘、糸が切れた様に仰向けに倒れた。
少しの静けさの後。水色が弱々しく笑った。
「まさか、上にいるとはね……足下ばっかり見てた。」
一拍置いて、ヨッシーたちの其所此所から、小さな笑い声が漏れた。空気がやっと生気を取り戻した感じがした。
「ったく、遂に木にまで登るようになったか。」
赤が赤ちゃんに目を遣って、軽い溜め息を吐いた。赤ちゃんは楽しそうに両腕を振っていた。
朝っぱらからの大騒動ですっかり疲れてしまったヨッシーたちは、取り合えず赤ちゃんを連れて川に出た。着いた途端に茶色などの数人が地面に這い蹲る。
「うー…腰痛い……。」
対照的に、至って元気そうな桃色は、ぽんぽんと手を叩く。
「さあ、すっかり遅くなっちゃった。くだものをとってこよう。」
「いってらっしゃーい。」
緑は突っ伏した儘手を振る。
「たまにはみんなもやってよぉ、起きてるのに手伝ってくれないのはルール違反!」
「朝寝ていれば手伝わなくて宜い、と云うのも不可解な話だが。」
桃色の背後で、青が冷めた様子で言った。
「そうだよ、そう! みんなちゃんと起きてよ!」
「其も其も桃色が穫る理由も無いが。」
「そうだよ! みんな自分でさがしてよ!」
「まあどうでも宜いが。」
「そうだよ! どうでもい…くない。とにかくほらっ、みんなシャキッとして! 行こうよ!」
茶色やら黄色やらは、うーだのあーだのと唸り乍ら、ふらふらと立ち上がった。
「…でも赤ちゃんどうするの? 連れてく?」
緑が桃色に尋ねる。
「別に、背中に乗っけてきゃいいんじゃん?」
赤が横から口を挟んだ。
「いや、危険だ」と青がすかさず否定する。
「確かに危ないよね、背中の高さは茂みの細かい枝が突き出てるから。」
「木の実を探すのに夢中になって背中に注意が行かなくなる、って事もあるね。」
緑と茶色が続けざまに言った。
「わーったわーった、オレが悪うございましたよ。」
赤は両手を振った。
「ボク、ここで休んでていいかな…。」
水色は坐り込んだ儘、疲れ切った様子で言う。
「なら赤子は水色に任せれば良いな。」
青が頷くと、水色はほっと息を吐いた。
「じゃ、行こうか。水色、赤ちゃんちゃんと見ててよ。」
桃色は一度背を向けてから、振り向いて念を押した。
「はーい。ぼくの分忘れないでねー。」
水色は一際大きなあくびをした。
「…赤ちゃんちゃんこ見ててよ。」
紫色が独り言をした。
島の南側の此の地方は、ヨッシーたちが好んで暮らしているだけ有って、冬を除いた大概の季節に何らかの食べられる果実が見られる。辺りを少々巡っているだけで、七人は間も無く空腹を満たした。先程黄色が食べて終ったキムトトの実も、熟した物が僅か乍ら見付かり、ヨッシーたちは其れで満足した。
ジャンケンで負けた茶色が、木の葉の上に少しの果物を持って、先頭で川原に戻って来た。
「黄色〜、」(※ 原文の儘。〈水色〉の誤り)
茂みを掻き分けて川原へ近付きつつ、茶色が呼び掛ける。而し返事は無い。
「ほら、お前さんの分だぞー」
木と木との間から顔を出す。と、其所に在ったのは、横に引っ繰り返った水色の姿。
「…寝てら。」
「あーあー、ちゃんと見ててって言ったのにぃ」
桃色も後ろから覗き込む。赤ちゃんは近くに見えない。
緑が其の更に後ろで呟いた。
「「見ててって」って〈て〉ばっかりだね」
直ぐ隣の黄色が、困った顔をした。
「ミテテッテッテテバ??」
「ててってっててー」
一番後ろで紫が妙な言を口走った。
「あれー、またいないよー?」
茶色・桃色から順に、川原の砂利の上に足を踏み出した。川岸一帯を見回すが、赤ちゃんの姿は無い。
「あっ、あれ」
赤が川の一方向を指指した。其ちらに視線が集まる。——居た。ハイハイをする赤ん坊の後ろ姿が、水面に半分浸った状態で動いていた。パッと見、大きな帽子が流れに逆らって浮かんでいる様にも見える。
「…あれは…いいのか?」
「木に登るなら、川も渡るかも知れんな…。」
青が、腕を組んだ儘肩を竦めた。
さっきと違って焦った雰囲気は生まれなかったが、其れでも放置する訳には行かないので、赤ちゃんに一番近い茶色辺りを先頭に、数人が救い出そうと近付いて行く。其の時、
ずっ。どぽん。
赤ちゃんが転けたと思ったら、其の姿は直後に水に吸い込まれる様に消えた。
「マズい、深みに落ちたか」
茶色が駆け出そうと前傾した其の一拍の後、
「びえぇぇえぇんえんえんえ〜!!」
凄まじい声の衝撃。赤ちゃんは帽子とバラバラに、浮きつ沈みつし乍ら回転して流れて行く。
「捕まえろ!」
赤が咄嗟に指示を出す。茶色が走り乍ら舌を出そうとする。石に足を取られて突んのめる。
赤は茶色を踏み付け、最前列に躍り出て舌を発射する。舌の先端は過たず川の真ん中の赤ちゃんを取り上げ、一瞬で川岸へ引き寄せて降ろした。而し赤ちゃんは一層泣き喚く。
青が其の横に出、同様にして素早く水の上の帽子を取り上げる。赤ちゃんの頭に載せると、赤ちゃんはぴたりと泣き已んだ。
「ったく、腕白にも程が在るぞ。」
赤ちゃんの両脇を持って持ち上げ、青は叱った。赤ちゃんは腕を伸ばして青の鼻をぺたぺたと叩いた。