一章
7
蹤いて来た近所の人々も、徐々に其れ其れの住み処に帰って行き、昼頃には漸く静かさが戻って来た。
広々と広がる若草色の上で、白・黄色・赤紫などの小さな花々が
「盛大なお見送りだったね。」
茶色は笑った。緑も似た様な顔をする。
「結局しっかりお別れをすることになっちゃったね。」
「ちゃんとあいさつできてよかったぁ、ねっ!」
赤に飛び付いて後頭部にうりうりと拳骨を押し当てる桃色。赤は面倒そうに、あぁ、とだけ言う。
緑の背中にちんまりと乗った赤ちゃんは、両手を突いて一行の背後の空を眺めていた。
「そろそろお腹が空いてきたなぁ…。」
水色が腹をさする。茶色が答える。
「朝採って来た果物、食べようか。」
「カバンだれが持ってるっけ?」
桃色が、赤から腕を離して見回す。
「んむーぅ?」
口に物を詰め込んだ様な、くぐもった声が後ろから聞こえた。黄色が最後尾で、鞄を両手に抱えていた。頰を膨らませて、伸ばした赤い舌の先には、林檎くらいの大きさで,橙色から薄緑へ滲んだ様な色合いの木の実が一個、巻き取られていた。
「ナニ勝手に食べてんのー!」
桃色は飛んで行って鞄を取り上げた。中を覗くと、果物は未熟な緑色の物が数個残る許りとなっていた。
「おなかすいてたおれそうで…。」
みんな寄って来て、鞄の中を覗き込んだ。
「あぁ、お約束だなぁ。」
緑は溜め息を吐いた。
「待てっ、お前たち!」
ヨッシーたちの意識が鞄の中に向いた時、不意に前方から勢い込んだ声が掛かった。直ぐさま一斉に顔を上げると、数歩先の所に、ヨッシーたちに対して仁王立ちをする数人の姿を見た。背は低く,白い仮面をし,だぶだぶの服を着用している。服の色は、中央に立っているのが赤で、左右に緑や黄色も居る。
「我々は精鋭ヘイホー部隊! ワケあってその赤ん坊をいただく!」
隊長格と見えて、中央に立つ赤のヘイホーが、台詞に合わせて緑に,そして其の背中の赤ちゃんに、ビシリと指を向ける。と同時にヨッシーたちの周囲から草を擦る音がし、草の下から更に数え切れない程のヘイホーが出現した。
ヨッシーたちは互いに少しにじり寄って、赤ちゃんを抱えた緑を取り囲む様にし、静止した。風も止まった気がした。
「……ねえ、ちょっといい?」
桃色が中断した。
「きのうの落としものって、あなたたちのだと思うんだけど。」
然う言って鞄の底をまさぐり、「ほら。」下の方から昨日の仮面を引っ張り出して、隊長ヘイホーに差し出した。物が目の前に出されると、ヘイホーは咄嗟に両手を前に出して受け取る。其れを見詰めて、更に少しの沈黙。
「おっ…おお……、」
隊長ヘイホーの手が震え始める。他のヘイホーたちも、無言で恐る恐る近寄って来る。隊長は仮面を両腕の間に挟み、戻ろうとする桃色の手を短い両手でがっしり摑んで声を振り絞った。仮面なのに涙を流しつつ。
「ありがとう! そう、実は今日、我々は一人足りないのだ。これが返って来て、やっとあやつもヘイホーらしい生活に戻れるよ。本当にありがとう!」
「ありがと〜う!」
声を揃えるヘイホーたち。
「わぁなんだなんだ、…どういたしまして。」
逃げる様にヨッシーたちの所へ戻る桃色。
「随分と大切な物だったみたいだね。」
赤ちゃんを両腕に抱えて緑が言った。
隊長は涙を手で拭い、隣に立っていた黄色のヘイホーに仮面を渡すと、ヨッシーたちの方に向き直った。
「さてっ、仕切り直しだ!」
「はあ」
「我々は精鋭ヘイホー部隊! ワケあってその赤ん坊をいただく!」
先程と同様の体の動き・台詞回し。赤ちゃんは自分が呼ばれたのに応じて、片手を挙げて「ばぁぶ」と答えた。
「だめっ! 赤ちゃんをどうするつもり!?」
桃色が緑とヘイホーとの間に遮る様に立ちはだかる。赤も呼応する。
「どこのどいつかも分かんねぇでホイホイ渡してやるワケねーだろ! 何の目的だ!」
「切り替え早いなぁ桃色とか」
茶色がぼそりと言った。
「目的を教える必要はなぁいっ!」
ずずいっと前に出、斜め二十五度に構えて首をぐるぅりと回す隊長ヘイホー。
「知らないと云う事か。」
後ろ側から青が言った。隊長は慌てた様に両腕を振り回して叫ぶ。
「なっななな何を言うっ! 知ってるもん! 言わないだけだもん! ええいっ掛かれ!」
「ヘイヘイホー!」
隊長が号令すると、包囲していたヘイホーたちが、固まって身構えるヨッシーたちにバラバラに飛び掛かる。ヘイホーたちは一斉にヨッシーたちの腕やら尻尾やらに取り付き、飛び交う悲鳴・掛け声で此の場は俄に騒然となった。片腕にヘイホーをぶら下げた赤は其れを振り回し乍ら何やら喚き、顔の上に覆い被さられた水色は「見えない〜」などと走り回る。
緑は赤ちゃんを抱き込んで防禦するが、直ぐに其の肩や背中にも数人が纏わり付いて来る。桃色が其れを両手で引っ張るが中々外れない。半ば叫ぶ様な声を上げる。
「だれかっ、赤ちゃんをまもって〜!」
赤ちゃんは両手で自分の帽子を落とさない様に守っていた。
ドタバタからちょっと外れた位置でヘイホーに取り付かれていない、紫の両手の上にも「ぽすっ」と一人ヘイホーが乗っかった。紫と目が合う。
「…こんにちは。」
「……して?」
「ええと…」
ヘイホーが周りを見回すと、横では顔にしがみ付かれた水色が、振りほどこうともがいていた。
「そうか、あんな風にやればいいんだ」
紫の手の上で立ち上がろうとするヘイホー。而し直後、どこからか一本の赤い舌が躍り出て其のヘイホーをかっ攫った。更に其の舌は片っ端からヘイホーをヨッシーたちから引き剝がし、引き上げられたヘイホーたちは騒ぎの中の一箇所に引き込まれて消えて行く。今度はヘイホーたちの悲鳴で騒然となり、ヨッシーたちは思い掛けない事態に啞然とする。
「おなかへったよ〜ぉ」
ヘイホーたちの行き先は、黄色ヨッシーの口の中だった。大口を開けた黄色に吞み込まれたヘイホーたちはどんどん卵になって転がり、見る見る内に数を減らして行く。青が素早く其の卵を拾い、更に飛び掛かって来るヘイホーたちは其の卵に次々に狙い撃ちにされた。標的に当たった卵は割れ、食べられた儘の状態で中に這入っていたヘイホーと当てられたヘイホーとが頭をかち合わせて地面に目を回した。
「黄色と青、偉い!」
茶色や桃色などが拍手をする。
「ひるむなっ、とにかく赤ん坊を狙え!」
「もらった!」
ヨッシーたちの足許をくぐり抜けた一人のヘイホーが、隙を突いて緑の脇から赤ちゃんに飛び付いた。
「しまったっ!」
処が、ヘイホーの手が赤ちゃんに触れた瞬間、ヘイホーと赤ちゃんの二人はけたたましい音を発しつつ真っ白な電撃の様な閃光を放ち出した。
「あばばばばなななんだこれゃれャれャ!」
全身から発光体して痺れるヘイホー、其れでも赤ちゃんを両手でハッシと摑み、懸命に歩いて逃げようとする。ヘイホーだけが痺れた様子で、赤ちゃんは至って平気の
意を決した緑が赤ちゃんに舌を伸ばした。赤ちゃんを一巻きして取り上げると、電撃は途端に止まり、ヘイホーは草の上に伸びた。
「おォォ…ちょっとキツかっ…た…。」
「ひっ、引き揚げるぞっ!」
隊長はすっかり及び腰になって、背を向けて駆け出し乍ら号令を掛けた。まだ歩けるヘイホーたちはあちこちに引っ繰り返った仲間たちを銘々背負って、直ぐ其所の森の方へ向かう隊長をすたこら追い掛けて行った。ヨッシーたちはぽかんとして其の姿を見詰めていた。
「おい、追うぞ。」
俄に青が走り出す。他のヨッシーたちはハッとして慌てて立ち上がり、其れを追い掛けた。
「ああ、なんか変なことばっかり起こるよ。」
走り乍ら緑が頭に手を当てた。
「タマゴにしたら、おなかにぜんぜんたまんなかった…」
黄色はお腹に手を当てた。
「見失ったか…」
野原から森へ少し這入り込んだ辺りで、ヨッシーたちは立ち往生していた。ヘイホーたちの姿はもう茂みの奥へ消えて終い、下草や低木の生い茂る薄暗い木々の並びが続いている。
「あいつら、赤ちゃんをどうするつもりだったんだろ。」
背中に乗せた赤ちゃんをちらりと見つつ、「…まったく動じてないね、この子。」緑は言った。赤ちゃんは自分の帽子を両腕に抱いて、涼しい顔をしていた。
「あの態度からすりゃあ、少なくともこいつを渡せるような相手じゃねぇわな。」と赤。
「と言うかあれじゃ渡そうとしても渡せないだろうけどね。あのビリビリは一体何だったんだろ?」
落ち葉の積もった地べたに坐り、茶色が言った。
「あのヘイホーっていうのがが赤ちゃんに手を触れたとたん、ビリビリって来たよね。」
水色が、緑の背で
其の横から赤が屈み込んで来た。恐る恐る赤ちゃんに手を伸ばし、帽子の上に手を置く。——何も起こらない。
「来ねーなぁ。」
「緑はなんともなかったの?」
桃色は、土の上に剝き出しになった木の根に腰掛けている。
「うん。舌で持ち上げてもヘイホーが手を離すまでの間はビリビリ言ってたけど、舌には何も感じなかった。」
「ふうん…」
少しの間、沈黙してしまう。
——ぐぅぅ。
「ねぇ、おなかすいたよ。」
黄色が声を上げた。
「それは確かに。まだお昼食べてないもんね。」
緑が応える。
「黄色以外はね…。」
水色が付け加えた。
「じゃあ、とりあえずこの辺りで食べる物を探そう。」
赤ちゃんを胸に抱えて、緑は一人、頭上の枝々を見渡し乍ら森の中を歩き回っていた。まだ今朝からそんなに遠くへは来ていないので、木々も草花も、きのうまで住んでいた森とそう変わらないようだ。
「あ」
何か見つけた緑は、茂みを分けて一本の木の根本に辿り着く。其の枝には、親指と人指し指で作った円ぐらいの大きさの、若干透き通った黄色い実が下がっていた。
「へぇ、初めて見る実だね。」
舌を伸ばして取ろうとするが、而し緑は其の動きをふと止めた。
すぐその辺りから、声が聞こえる。押し殺したような、すすり泣く声が。
緑は更に茂みを漕いで、聞こえて来た辺りへゆっくり進む。五跨ぎ程した辺りで声が止まった。緑も足を止める。やや
「——白のパンジーさん?」
「……みどーり色のヨッシぃー…」
しっかり節の付いた歌う様な声。前と違って声が沈み込んでいるが、間違いなく、この前出遇ったパンジーさんだ。緑は少し急いで漕ぎ進み、パンジーさんの傍へやって来た。
「どしたの?」
パンジーさんは唯ぽさっと立ち尽くしていた。緑が問い掛けると、涙を溜めた両目で緑の目を見詰めて、そして自分の足下に視線を落として、ふらふらと緑に寄り掛かって来た。
白パンジーさんを連れた緑は、最初ヘイホーたちを見失って立ち止まった辺りへ戻り乍ら、其れ其れに歩き回っている他のヨッシーたちを呼んだ。
「ちょっと、みんなー、」
茂みに踏み込んで木の実やら食べられそうな草花やらを探し回っているヨッシーたちは、首をひねって緑の方を伺った。
「今、あの、この前のパンジーさんがいてね、相方がいなくなっちゃったんだって。」
「相方ぁ?」
赤が、口に入れた何かで頰を膨らませて言った。
「あ、いつもいっしょにいた、白と黄色のふたり組だねー?」
桃色は遠くの方で、斜めに生えた木の幹の上に立っていた。
「ああ、この前会ったね。あれは——赤ちゃんが落ちて来た日か。」
茶色がガサガサと茂みを踏み分けて寄って来つつ振り返った。
「じゃあ、詳しく説明してくれる?」
緑がパンジーさんを促すと、パンジーさんはゆっくり頷いた。ヨッシーたちは音を立てない様、其の場で立ち止まった。
「ん…昨日のよーるぅ、私たーちはー、」
「…ちょっとごめーん、歌わない様に話してくれるかな?」
桃色が木の幹から飛び下りて、努めて優しい声で言った。
「…むずかしいな…。私たちは、この近くの森の中で寝ようとしてたの。でもそのとき、つまらないことで喧嘩しちゃって、あの子は飛び出して行っちゃって、」
パンジーさんは一度言葉を切って、続けた。
「…そのときは何とも思わなかったけど、今日になって一人でいると不安になってきて…、さがしまわってるの……でも…見つからなくて…」
段々俯いて行くパンジーさん。丸っこい白い花びらが、ゆらりと顔の方へ垂れて来る。
「いつもは…次のあーさにーはー…すぐもどーぉってきたのー…にー…っ」
パンジーさんは其所で息を詰まらせた。
「…じゃあ、朝から今までずっと捜してたんだ。」
茶色が深い茂みに難儀し乍ら、直ぐ其所迄戻って来た。パンジーさんは声を出さず、うん、と頷いた。
「どの辺りを見て回ったのか。」
茶色と反対の方向から青も戻って来ていた。
「…このちかくの、森のなか。」
「ずっと遠くへ行っちゃったのかなぁ」
「いつもは帰ってくるんでしょ、おかしいね。」
水色・桃色もやって来た。
「自発的に戻って来ないのか、何かの事故に遭って帰れないのか…。」
茶色が首をひねった。パンジーさんが復た泣き出しそうになるのを見てうろたえたが、パンジーさんは涙を押し込めた。
「遠くへは行っていない。」
いつの間にか直ぐ横に紫が居た。
「じゃぁ捜してやろーぜ」
遠くの方で、紫掛かった緑色の、
「そうだね、いそいでるわけじゃないし。」
其の横で、房になった黒紫の小さな実を丸ごと口に運び乍ら黄色が言った。
「いつまで食べてるの、そこの二人。」
集まった六人が声を揃えた。