2005 年九月の日記

9/4 日、+0:46 9/4 の日記

配信機上の此のサイト用の空間が結構残り少ない事が判明。nikki 階層が一番重い。と思って見たら平成 16 年 10 月 4 日の写真で 1.5 MB 使ってるんだった。ああ幾ら何でも此れは重過ぎるだろうよ。

でも其れが無くても満杯は時間の問題。頻繁に更新できる様になったら別館作らなきゃ。

<h2>床屋・文芸研究会・〈纂〉・〈-を好きだ〉・イヤホン・古本市場・リンク集・改造マリオでなく</h2>

29 日は麻生の床屋に行ってさっぱりだよとか。1500 だったよとか。

文芸研究会

2 日に有った石狩支部文芸研究会で我が校に来校する筈の他校の人々の為に学校周辺の地図を作る為に、31 日の放課後に自転車で周辺を見廻ってたら、曲がり角で自転車成人デブと上手く擦れ違えずに双方が停止し、デブが「危ねぇよ」とか言ったけどよく聞こえないから擦れ違って離れ乍ら「なーに?」と訊き返したけど言い直さないから放っといて町並みを確認し、戻って別の方に行く途中、目印になりそうな路の反対側の建物を探し乍ら走ってたら後ろでガションとか重い音がして振り向いたら遥か後方でさっきのデブが植え木に突っ込んでて車道に転がり出そうにしてて、どうやら擦れ違い様此っちに体当たりかまそうとしてたらしくて、ふらふら追って来て「おいちょっと待てよ」とか言うけど構ってる暇無いから信号見つつ止まらずに少し走って、少し通りを外れた宅地の道路工事の現場で都合良くおじさんが交通整理してたから其の横に停まって周りを見回す仕草をしたら間も無くデブは去った。おばかさん。

〈纂〉

〈編纂する〉の〈纂〉って何で此んなにゴチャゴチャしてるんだと思ってよく考えたら、此れって〈算〉の下に〈糸〉。昔はほぼ専ら縦書きだから、縦に重ねた方が書き易かったんだろうな。

〈-を好きだ〉

ナ活用形容名詞〈好き〉。気持ちはよく判るけど原則に従えば間違いである「林檎を好きになる」の用例、「私は林檎が好きだ」と「私は髪が綺麗だ」とを対応させた上で「髪を綺麗になる」がおかしい事を示すのが説明として手っ取り早い。

イヤホン

文芸研究会は良かった。当番校の部長としての閉会式の‘お礼の言葉’は、現実・架空世界の脳内での認識の同一性と文章表現に依る架空世界の創造とを絡めてお茶を濁す。

其の日、麻生の自転車置き場に置いておく為に盗まれ辛そうなママチャリに乗ってったけど漕ぎ辛くてびっくり。今度からは余程の事が無い限り遠出にママチャリ使わない。

今度学校にイヤホン持ってく事に決めた。ジェニーさんをちゃんとした音量で鑑賞したい。

古本市場

3 日の土曜講習の帰りに古本市場に寄る。何も買わなかったけど目に付いた“猫っこ倶楽部”(1・8 巻) を立ち読みし,“マンションズ & ドラゴンズ”(1・6 巻) をパラ見。猫っこは 10 年ぐらい前からの古いのだった。マンドラは単に目に付いただけで、『“ダンジョンズ & ドラゴンズ”のもりじだよな、マンション暮らしの主人公がドラゴンと関わる少し不思議物語か?』とか思いつつ手にしたら予想外の表紙絵でたじろぐ。

其の後月刊任天堂。マリオ野球やってたら横で子供二人が見てた。お母さんに呼ばれて行っちゃった。ごめんね。

マリオ野球登場人物やたら多い。カロンかよ。まあ野球だからね。而し宜い加減にテレろよテレサ。

楽引辞典の紹介映像観てたら不備に気付く。或る場面で背景に流れる辞書本文、発音記号の逆さ〈e〉が化けて〈□〉になってた。気を付けて作って下さい。

改造マリオでなく

リンク集がどうも気に入らなくて改装しようと試みるも満足できず匙を投げる。

改造マリオって在るけど、改造 YI (新しい面遊べる奴) が無いから環境を調える気にならない。YI の新作面を遊べるってんならまだ食指も動こう物。

9/5 月、23:03 9/5 の日記

<h2>「礼」・失礼に該当・言葉にこだわる・発掘現場が・「過半数超す」・「永久に」</h2>

「起立・礼」の「礼」の掛け声で、頭も下げずに坐る人々。既に「礼」が何を意味する号令なのか忘れてるんじゃないか。多分坐る号令ではない。

〈失礼にあたる〉って〈該る〉? 何か如何にも‘失礼’が最初から規定されてる感じ。仕来りに拠る‘失礼’は嫌い。

『さゆぬは言葉の細かい所にこだわり過ぎ』って稀に言われるけど、自分は意識的にこだわってるんじゃなくて、言語感覚が一般人より敏感だから自動的に気になるのね。だから例えば [〈願わくは〉が〈願わくば〉になってる] って状態はさゆぬに取って、喩えば [普通の主人公の平和な高校生活を絵描いた漫画なのに、何の説明も無く主人公の指が 6 本] ってのと同じ様な物。勿論内容 (文章の / 漫画の) を理解するのに支障は無いけど、気になる物は気になる。

今朝見たら、学校の校地内で遺跡の発掘をしてた辺りが均されて、更に土が盛られていた。先週は発掘の窪みが在ったと思う。

昨日の読売の朝刊でやっちゃってた。「自公、過半数超す勢い」。正しくは「半数を超す」「過半数になる」など。1 面の最初の記事。うっかりさん。

9 条に「永久にこれを放棄する」の表現。「永久に」なんだから改定不可? 改定して戦争できるんなら「永久に」の意味が無いし。

9/7 水、6:39 9/7 の日記

<h2>秋らしい・〈あした〉・卓球・〈にあり〉・水飲み鳥・〈センター試験〉</h2>

月曜の朝から冷えてすっかり秋らしい。この秋らしさは気温だけに由来するのか他の要因も在るのか。

〈あした〉・〈ゆうべ〉は本来『朝』・『夕方』の意味だが、現在は『次の日 (の朝)』・『前の夕方』の意味になっている。夜を基準にして其の前・後であるのが面白い。昼が基準ならば『今日の朝』・『今日の夕方』になる筈。

体育館で久し振りに卓球やった。腕は相当に落ちてた。

相手が居ないなーと思ってたら同じ様にふらふらしてる眼鏡の人がいたので声を掛ける。[特に友人が居ないので誰にも誘われないでいる] 其の気分がよく判った物だから。

後半バドミントンやってたら 1 年の時同級だったユ君がラケット持ってぼんやり立ってた。やらないのと訊いたら『相手が居ないから』。『若しもやりたいなら交ぜるよ』、『いや宜い』。まあ運動したくない人も居るし。

『謂わゆる‘〈にあり〉の型’の〈に〉は〈なり〉の連用形である』って説明はやっぱり気に喰わない。其も其も〈なり〉自体が〈にあり〉の縮まった物なんじゃないの? 先ず〈なり〉を独立した単語と認めたくない。飽く迄音便と言いたい。とも斯くも此の〈に〉は助詞でしょう。

物理実験室前の廊下に飾ってある水飲み鳥が好い。

立った儘物理実験室の椅子の下部に足を乗っけたら倒れて来て膝打った。まあ其んな痛くなかったけど。

ああ、センター試験の願書書くんだって。

処で、〈大学入試-センター試験〉じゃなくて〈大学入試センター-試験〉なんだから、〈センター試験〉って略は何か変。他に良い案が無いからしょうがないけど。

9/11 日、+0:47 9/11 の日記

<h2>迷惑手紙の言語・現世不確実の不安・快さを求める・〈番組〉・化粧品の広告・〈siitake〉・運休したり・したりするなど・台風の訪れと定時制諸君・多数決の理想・〈△〉・そとの自分・〈紙を〉・〈死ぬ〉・ふしぎ発見で松尾芭蕉・言語の表現力・「けじめ」・悪い物が良くなる・〈8〉の書き順</h2>

根拠とする憶え書き無し

出逢い系とかの迷惑電子手紙が、どれも総じて狂った日本語になってるのはなぜ。従事者の程度を表していると云う事か。

現実世界の存在の不確実さからちょっとした不安に襲われる事が時偶。そして創世の慾求が沸々。

人は皆、自分が快い様に行動する。此れは間違っても『人間なんて結局自分が一番かわいいのサ』みたいな異臭のする態度じゃなくて、例えば正しい事が快い人は正しい事をするし,逸脱するのが快い人は逸脱するし,目立つ事が快い人は目立とうとするし,何もしないのが快い人は何もしないし、と云う当たり前の事柄。人助けをする人に就いて言えば、『あなたの痛みは私の痛み』みたいに、困ってる人が存在する事が快くないから,困ってる人が居ない状態が快いから、助ける訳で。

即ち [自分が快い] と云う状態を求める事には何の不自然も非も無くて、寧ろ問うべきは何に対して快くなるかと云う点。

以下、日付け不明

〈番組〉って、字面から行くと本々『順番を組んだ物全体』みたいだけど、其の組まれた個物を指す事も在る。然う言えば〈順番〉とかも、「順番に並ぶ」と「ボクの順番」とで意味が少し違うなぁ。

健康食品や化粧品の広告で、一般の客の体験談を装って実際は社員が書いてる奴は白々しい。

英和辞典見てたら〈siitake〉:『椎茸』。〈matsutake〉は無し。

以下、9/7

「運休したり、運休が決まっています。」

「〜シたり,〜シたり,〜スルなど、対応に追われています。」→「〜シたり,〜シたりしている外、〜スルなど、対応に追われています。」

『定時制の生徒諸君へ せっかく登校してくれましたが、今日は台風のため臨時休校です。〜』玄関に貼ってある。

9/8

民主主義ってのは本来全体の合意が理想で、其れが難しいから便宜上多数決を使う訳で。此の考えは而し、単純に『斯う思ってる人が多いから、多数の利益を尊重して此の政策を採用』と云う事じゃないと想う。『議論を経て、自分と別の意見に納得したなら個人で主張を変え、其の結果として人数の多い意見が、大抵の場合は良い意見だろう』と云う期待である筈。

其れで先ず政党に就いて考えたのだが、喩えば [今度の文化祭で我が学級は歌うか踊るか] と云う選択の場合。政党って詰まり [歌うのが良い] と思う人の集まりと [踊るのが良い] と思う人の集まり。

で、例えば或る生徒一人が歌党に這入る時、其の人は『歌うのが良いなぁ』と個人的に思って這入る。此の時此の人は、大規模な議論の結果で『歌が良い』との結論を得た訳ではない。

そしたら其の歌党の中で『歌う事のどんな点が良いか』を語り合うかも知れない。『歌うのが良い』と思う人と、『歌うのが良い』と思う人との会話だから、『歌うのが良い』と云う結論が通常導かれる。

そして全体の会議 (国会) で歌党と踊り党とが話し合う。歌党に這入った先程の人は、ほぼ初めて踊り派と向かい合う訳だが、此れ迄に『歌うのが良い』と云う考えは仲間との会話で磐石になってるし,集団に所属していると云う自覚も有るから、踊り党からどう言われても意見を変え辛い。

結局、政党の規模が殆ど其の儘多数決の結果になる。政党の規模は何に由来するかと言えば、最初に入党する際の、碌な議論も経ない直感的な意見である。最初に挙げた、理想的なバラバラ個人の [議論→多数決] よりも、意見が変わる事を前提とした議論が無い点で「良い意見」が出辛いと云う事になる。

文化祭の喩えと政党の話は此所迄。今度は投票の話。自分の意見に近い政党 (所属議員) を択ぶ訳だが、多くの大人らを見てると、特に他の人と大きな議論をする事も無く初期の意見を其の儘投票に反映させている。結果、選挙の効果が単なる「多数の利益」に留まっている。

だからと言って具体的な改善策は持ってない。後者の投票の話なら、強いて言えば『議論の場を設けて積極的に話し合いましょう』ぐらい。

会計書類とかで〈 - 〉の代わりに〈△〉を使うのは、昔印刷品質が低かった頃の、[単なる汚れ] と [負の符号] とを区別する為の工夫の名残だろうか、などと想像。

9/10

精神を人間の根っことするなら、[自分の肉体] を自分の外側に在ると捉える事も出来る。

伯母の発話「紙を見て来る。」より。〈紙を〉〈髪を〉の両者は共に普通〈ミ〉だけ高いが、〈紙を〉だけは〈ミヲ〉が高いのも許容される。例えば「カミヲカッテクル」(「紙を買って来る」) の様に。

〈死ぬ〉と云う言葉は、禍々しさやら,此れに対する人の畏れやらの様な物を帯びている。報道などで〈死亡する〉が一般的に遣われる事が、此の〈死ぬ〉の湿っぽい雰囲気を保持するのに一役買っている様に思う。

ふしぎ発見で松尾芭蕉。ミステリーハンターの句「願わくば 弟子入りしたい この人に」が番組冒頭に飛び出して出端を挫いた。原稿の在るテレビ番組が「願わくば」は已めて。後画面上の「間口」がどうしても「問口」に見えたのはやはり見間違えなんだろうか。

小説は、と言うか言語は、表現力が狭い。読者・聞き手の知っている物の組み合わせでしか語れず、全く新しい事を表現できない。

読売で朝日の人がどうとかで「とはいえ、読者に対する「けじめ」はまだ十分とは言えないだろう。」だって。けじめって変なの。

面白いとされる文学作品って何なのかな、と思ったら、悪い物が良くなる作品だった。其れは作品世界の中に留まる変化であれ,作品に由来する現実世界での変化であれ。[改善される] 以外で面白い作品を作れない物か、と悩む。

〈8〉の書き順が変な人が時々居る。正しくは、右上から反時計回りに出発して下の円を廻って左下から右上へ抜ける。

書き順って、常に必要じゃないけど、場合に依っては大切。此の場合は大切。何で大切かって、形が少し崩れた時でも〈8〉と認識し易いかどうかの問題。右上がちゃんと閉じてなかったり,始点と終点が交叉してたりしても〈8〉に見えるが、左上が空いてるとか,下が空いてるとか,上下の円の間が空いてるとか、然う云うのは人間の認識に於いて [在り得る崩れ方] に属してないと思う、普段然う書いてる人以外。

詰まり、人間の頭の中には〈8〉の基本的で完全な基準形 (イデアって奴?) ばかりでなく、『此んな風に崩れても宜い』『此んな風に崩れるかも知れない』みたいな‘変形可能性情報’も保存されてるんじゃないか。

9/15 木、23:49 9/15 の日記

<h2>期末試験終了・漢字字典・アキバ王・照れないテレサ・居間トンボ・舞茸ガッテン・その時金次郎・自転車に油・〈母体〉〈母胎〉・動詞の並列・猫飛び出し・出窓・NHK が「話しを」・〈繰り返す〉・〈吹く〉・〈-に取って〉</h2>

月曜〜木曜の前期期末試験が終了。明日は炊事遠足だって。

漢字字典が面白い。特に、文字の成り立ちを示した‘字解’が。現在通用している字形の必然性の無さよ。

字典を開いた切っ掛けは、日本史か何かの教科書を読んでる時に〈編纂〉が目に這入った事。〈纂〉は昔から『どうして此んなにゴチャゴチャなのかよ〈纂〉と云う名の宝物』と思ってたが、此の時『〈算〉の下に〈糸〉が割り込んでるだけじゃん』と気付いた。そして字典で確認。

“TV チャンピオン”を久々に観た。番組の装飾が変わってから、本々時間が長すぎる事も有って観る気が起きず、ポケモンの後は NHK 教育の“アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル”に流れる様になっていたが、今日は「アキバ王」とか言ってるからポワロのエンドハウス怪事件最終回を観た後 TV チャンピオンに移行。『然てどんな [勘違いヲタ像] が飛び出すか』と。

「(!´Д`)」とか云う畸形 AA が気になったけど、まあ殊更に指摘する程の変さは無かったか。平均的変。而し、秋葉原風と 2ch 風は違うと思う。

ふと脳裏をよぎったので書く。何度でも書こう。「テレサはテレて呉れないと困る。」

さっき居間にトンボが 1 匹。祖母が帰って来た時に玄関から這入ったか、と伯母。少し放っといたが、照明に頭をこすり付けてかわいそうだったので、照明を消して紙に止まらせ、外に出す。乗せた紙から中々離れて呉れない。照明を付けたら飛んでった。

9/14

ガッテン、舞茸は 60〜70°C で旨味ボーナス。

“その時歴史が動いた”、二宮金次郎。無難・中難・極難。小田原の 4 万の民。「反発を覚える」、反感を覚えて欲しいな。「気力を失わさせる」、失わせないで、失わせるだけで充分だと思う。

9/13?

油を自転車のチェーンに注す。キイキイ音がしなくなった。

〈○○を母体とする〉:『○○を基本にして其処から発展する』

〈○○を母胎とする〉:『○○に由来して発生する』

「都市では建築物の強制取壊しや防空壕が掘られ、」。政治・経済の教科書だったか? [強制取壊し] や [防空壕] が掘られる訳じゃないから不可。取り合えず不正ではない形にするなら「都市では建築物の強制取壊しや防空壕掘りが行われ、」とか。外にも色々好きじゃない表現は有るけど。

でも確かに現代語は動詞の並列が不得意。「食べたり飲んだりする」の形は文が長くなるとしつこい感じがするし落ち着き辛いし,名詞にして〈や〉で並べようとしても名詞になり辛い動詞が在る。〈-たり-たり〉を使うなら最初の例は「都市では建築物が強制的に取り壊されたり防空壕が掘られたりし、」。ううん変。「都市では建築物の強制的な取り壊しの一方で防空壕が掘られ、」ってのはどうか。〈で〉が重複してカッコ悪いな。

9/11

全統記述模試を受ける為に学校に行く為に自転車置き場でガタガタやっていたら、家屋の構造上どん詰まりになってて植木鉢の林立する、自分の立ってるより奥の辺りから鈴の音。ははあ、此れは。

此ちらが音を立てる毎にあちらからも音。数回の後、生姜色の少しふさふさのニャーコが弾丸の様に飛び出す。やはり。家の表の車道を駆けて行って見えなくなった。

9/12

現在伯母の部屋になっている、小学校の頃のさゆぬの部屋には、眺めの悪い出窓が有る。物が数年間置きっ放しになっていたので探ってみる。いやに懐かしい昔の物が出て来た。ヨッシーアイランドの 4 コマを模写した絵とか。電池が腐っていた。

今更 8/19

午後 6 時 29 分頃、NHK“ほくほくテレビ”の字幕、「話をしていきます」。

自他動詞〈繰り返す〉。「歴史が繰り返す」「歴史を繰り返す」。

「息を吹く」「風が吹く」。

〈心なし〉って〈心無し〉? 〈心為し〉だったら綺麗だな。

NHK ニュースか? 「斯うしたイスラム原理主義の動向は、イスラム諸国の政治体制に取って大きな影響を及ぼすだけでなく、国際的にも大きな関心を呼んでいる。」。「政治体制に影響を及ぼす」で充分。〈-に取って〉を遣いたいなら、〈甲は乙に取って丙である〉の形じゃないと収まりが悪いから、「-及ぼす物であるだけでなく」だね。

9/16 金、+0:29 炊事遠足

然て、電子手紙の返信に、最初の考え以上に時間が掛かってしまった。さっさと日記を書いて終おう。


バスでなみ公園と謂う所へ。8:40 集合、9 時頃出発。40 分間ぐらいか。前日の説明では服装の話など無かったので原則に則って制服で行ったら、全く全員が私服だった。なぜ。

行き帰りのバスでは指輪物語を読んでた。踊る子馬亭の辺り。

到着。『増水していて危険なので川には下りない』との話が有った筈なのに宜くなったらしい。川原は 1 枚の大きな岩を川が抉って流れていて、対岸は高く切り立っていて、凄い景観だった。

川の流れが穏やかな辺りで石の水切り投げをやってる人らが居た。自分はしなかった。

去年は流し素麺なんてやったが、今年は奇を衒った事はせずに焼き肉。脚の有るコンロを 2 台,脚の無いのを 1 台,岩の窪みに網を置いて 1 箇所。計 4 箇所。43 人 (44 だっけ) も居りゃあ全員が働ける程の仕事は在る筈が無く、漂う。ラジカセが高いコンロの直ぐ横に置いてあって余りにも危なっかしかったので手を伸ばして移動しとく。“はじめてのチュウ”の原語版かな、あれとかが掛かってた。

絵を描く時に応用する為に、川の濁り具合,川面の様子,岩場の水溜まりの色の見え方を観察。

何と無く脚の無いコンロの辺りに落ち着く。最初はフランクフルトソーセージを頂く。焦げてるのに誰も取らないからって火の上に放置するのはどんな考え方をしてるのか。肉ばっかりで野菜が来ない。

持ってったおにぎりを齧りつつ。200 ml のペット瓶に麦茶持ってったけど足りなんだ。

女子の一人が麦茶入りのペット瓶を流してしまったらしい。小さな入り江の様な辺りに留まってるのを身を乗り出して取ってあげる。

余所のコンロに野菜を貰いに行く。カボチャを一切れ。『とうきびどう?』と言われたので貰う。甘みが有って旨くて素晴らしかった。

元のコンロに戻ったら今度はあっちからピーマン・茄子の配給に来た。うぇーい野菜万歳。

そしてサンマを焼き出す人たち。でも焼けても誰も食べない。仕方無く自分が全部貰う。予定組んで焼いて下さい。肉も。

1 時間も過ぎた頃か、もう此のコンロでは焼く物も気力も無くて周りに誰も居ない。熱が無駄に発生してるので水掛けて消す。

岩の窪み (変換候補:〈岩野久保見〉) では鮹焼きを始めていた。けど結局自分は食べなかった。凄い形だったが味は良かったと言う。

女子らは後半になるともう皆で川の縁に並んで坐って水に脚突っ込んでた。男子でも川の中程迄行ってる人数人。自分もズボンの裾を巻いて少し這入ってみた。折角来たのだから、経験するかしないかで選ぶならした方が良い。水が冷たくて良かった。

ドジョウが腹を上にして浮いてた。片手で掬い上げようとしたらくねり出したので少し驚く。でも少し泳いで復た裏返る。突っ突くと今度は水底に沈んで引っ繰り返る。ああ、死んでしまうなぁ。でも、ちょっと目を放して復た見ると居なくなってた。

1 時過ぎから片付け。まあ恐れた程沢山はゴミが出ず宜かった。目刺しパックが放置されてたので買った人訊いて廻ったが分からず、貰う。今晩食べた。おいしかった。後、殆ど使ってないジンギスカンのタレの瓶,焼いたは良いが食べられなかった肉少々,使われてない紙皿数枚。

戻る径で前歩いてる人がキャノーラ油を落とす。気付いてい乍ら拾わなかったので、自分が貰った。

帰りのバスで、アメリカでの 1 年の留学から帰って来ているオ君からのおやつが廻される。凄い人工的な駄菓子だった。赤くてビニールみたいな光沢で細長くてねじれてて香りがして味があまり無い。車内を後部から前へ一通り巡った後戻って来る時にちょっと堰き止めて袋を読む。Twizzlers。STRAWBERRY Artificially Flavored、苺風味人工香料使用。赤 40 号。あっちの人たちってどうして此んなのを平気で口に入れられるんだろう。

2:10 頃学校へ戻る。2:40 頃って昨日は言われたんだけど早くなったのね。

9/18 日、12:49 夕虹

最近、時間短縮の為に、日記の文体が思い切り走り書きになってる訳ですが、たまにはいつもの感じに戻さないと調子が狂います。と云う事で今回は‘ですます体’、更に写真が色々有ります。


9 月 10 日月曜日。期末試験の 1 日目の分を終えて、降りみ降らずみの小雨の中を自転車で帰宅し、居間で勉強をしていたら、夕方、窓の外に異変が。

虹やん。夕方に観られるとは珍しい。ああ電線が邪魔。

外に出て観賞。おー。

因みに反対側は此んな感じ。焼けてます。

太陽が低い分、でっかい虹でした。当たり前ですが、日が暮れると共に消えました。

9/18 日、12:49 甘栗

祖母が洞爺での何かの催し物に行って、御土産に此んなのを買って来て呉れました。

くりー。

剝くと此んな風。

栗って本々甘いんですね。味を付けて甘いのしか食べた事が無かったので、此の栗も味を付けてあるんだろうと思って最初は食べてたんですが、無調味だと聞いて驚きました。

而しあの、殻の表面の黒い汚れの様な物は何なんでしょう。多くの焼き栗に付いてますよね。

9/18 日、12:49 居間に、トンボ飛び込む羽の音

14 日。祖母が外から帰って来て、少しすると、廊下からか居間にトンボが 1 匹飛んで来ました。扉を開けた時に一緒に這入って来たんでしょうか。ぶんぶん言い乍ら照明に体当たりをし、其の紐に止まりました。

(おお、画像の周辺部分を暈かしたら JPEG 圧縮効率がかなり上がった。)

其所で落ち着いた様なので少し放っときましたが、復た飛び立って照明に頭をぶつけ始めて、かわいそうなので外に出してあげる事にしました。

照明を消し、手近な紙の端に止まらせてベランダに連れて行ったのですが、暗いと動かない物なのか中々飛び立たずにいました。其処で部屋の照明を点けると窓越しに明るくなって、暫くして飛んで行きました。さよーならー。

9/18 日、12:49 米菓子

おコメの菓子ではなく、米国の菓子。16 日の日記で触れた Twizzlers です。あまり上手く撮れなかった。端はちょっと齧ってあって、本当はもう少し長かります。

本当に、よく此んな物喰うよ。いや、ちゃんと完食しましたけどね。

9/18 日、12:49 絵、歩行する緑ヨッシー

絵って、かなり意識して動かさないと、動きません。1 時間ぐらい掛けましたが、まだ少し不自然さが残るかな。

原作を参照すると、マリオの帽子はもっと大きくて宜いらしい。

9/23 金、23:50 〈祝日〉

今日は秋分の日。明日・明後日は進駿マーク模試。

雲ってカッコ良いですね。


「祝日」(『祝う日』) と呼べなそうな祝日が在る。別に宜いけど。

9/23 金、23:50 「雲一つ無い」

9/23 金、23:50 〈うつろぐ〉

9/23 金、23:50 〈這入る〉の〈這〉

さゆぬが動詞に基本的に漢字を使う理由は二つ、[パッと見て意味を取り易い様に],[文節が判り易い様に]。でも [読みが判る様に] もしたい、だから〈はいる〉には〈這入る〉を採用してるけど、此れをやると意味の上で関係無い字が雑ざっている事になり、最初の [パッと見て意味を取り易い] に影響が出るから迷う。

9/23 金、23:50 〈そ〉

政治経済の授業中に「その他」を書き写した時、最近めっきり〈そ〉を手書きしなくなった事に気付く。〈それ〉は〈其れ〉,〈そう〉は〈然う〉と記すからなぁ。

9/23 金、23:50 ヨッシーらしさ

ヨッシーがヨッシーとして最もしっかり特徴を出していたのは YI だと思う。

他のゲームだと、どれか缺落する。(※YS の [果物が好き] は設定として在っても特徴ではない。特異でないから。)

9/23 金、23:50 ヨッシーの人格

昔、ヨッシーは、人間と同じ人格を持っていた。ヨッシーは、意思の有る恐竜だった。

ヨッシーは話をした。マリオに対し、「クッパに捕まった仲間を助けにお城へ行こうとしたら、奴らに卵に閉じ込められたんです。」と説明した。「ここにいれば逢えると聞いてたけど、ほんとに逢えてしまいました!!」と喜んだ。

ヨッシーは、自己の為に行動せず、他者の利益の為に自己をなげうった。見ず知らずの赤ん坊を助け、大きな危険を冒した。物語の終わりの「ありがとうヨッシー!」は、対当の人格を持つ相手への言葉だからこそ強い意味を持った。鼠を捕らえた飼い猫に対する様な、下賜的な言葉とは全く意味をことにしていた。

其れが、或る時、ヨッシーは [愛らしい愛玩動物] に成り下がってしまった。複雑な思考を失い、本能の儘に喰って寝る様になった。さゆぬを惹き付けたあの頃のヨッシーの姿は、今では RPG 系列に残されるのみとなった。

かなしい。此の悲しみが、あの頃のヨッシーを希求するさゆぬの心を強めている。此の悲しみが、さゆぬに絵を描かせ,小説を書かせている。

自分はヨッシーを書いて描いている。あの頃の人格を一杯に詰め込んで、死に掛けているあの頃のヨッシーを、少しでも生き永らえさせる為に。其んな気がする。


うーん、最後が多少陰鬱になってしまった。でも其んな気はする。若しも、今でもヨッシーが (RPG 以外でも) 人間的な人格を持っていたならば、其も其もサイトなんか起ててなかったかも知れない。